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羽生さんの52銀が伝説なのは半分以上米長さんのお陰だと思う

よく知られた羽生さんの52銀。

一応おさらいしておきましょう。

1989年のNHK杯。先手羽生善治-後手加藤一二三。解説は米長邦雄。

この対局をぼくはリアルタイムで観ていました。当時ぼくはプロ棋士を夢見る将棋少年。羽生さんは19歳の若手プロ棋士でしたが、すごい勢いで勝ちまくっていたのですでに当時の将棋少年の注目の存在でした。

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図の場面で有名な5二銀が飛び出し、解説の米長さんが「おーやった!」と叫ぶシーンは今もyoutubeで見ることができます。

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このときぼくはどう感じたか? 実は特に驚きはしなかったのです。52銀を見て、「あ、銀でいいのか~」と思ったことをはっきりと覚えています。

つまり52の地点に何か打つことは第一感としてありました。飛車があるなら飛車を打ちたいところなんです。

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こんなにふうに。タダですが、これを取れば14角から詰み。取らなくても詰み。
ま、これぐらいプロどころかアマチュアですら思いつくレベルの手です。次の一手として出されたら解けるけど実戦では指せないでしょ?という反論をよく聞きますが、少なくとも当時のぼくは次に歴史的な一手が来るとは知らずにテレビを見ていてそこで52に何か駒を捨てたいというところまで考えていました。

飛車なら即詰だけど実戦では飛車は手持ちにありません。「うーん、飛車はないから金は? 金だと取られてダメか・・」と考えていたとき羽生さんの52銀が指されたのです。それが前述の「あ、銀でいいのか~」と思ったいきさつです。

当時子供だったぼくですら、それぐらい冷静にこの手を見てました。だから米長さんともあろう一流のプロが、52銀のビックリしていることに少し違和感を持ったことを覚えています。

別にこれは自慢したいわけではありません。ただこう書くと、どうしても自慢か負け惜しみにしか聞こえませんね。まるで「おれも52銀ぐらい指せた」と言いたいかのようです。

52の地点に駒を捨てることを考えていながら、52銀という手を羽生さんが指す前に発見できなかったのが悔しいのです。そしてそのせいで何を言っても負け惜しみに聞こえてしまうことが歯がゆいのです。

でもこれだけは言わせてください。
52銀が伝説の一手とされているのは米長さんのオーバーリアクションに負う所が大きいのです。将棋の有段者には、この意見に賛同してもらえることでしょう。

52銀は素晴らしい手ですが、この手を「神の一手」などと神格化するのは間違いだと思います。

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