最近、インスタを始めました。
いまさらって感じもしますが、基本的にこういうのを始めるのは遅いタイプです。始めるまではブーブー文句を言っておきながら、始めるとすっかりハマるというタイプの人間です。
インスタにはとても美しい写真を撮るたちがたくさんいて、とても刺激を受けます。
桜の季節になれば、目黒川や千鳥ヶ淵で撮った美しい写真がたくさんタイムラインに流れてきます。そしてGWになれば鯉のぼり、ちょっと前はネフィモラが流行りました。
もうね・・
全部同じ写真に見えるんですよ。
数枚ならまだしも10枚を超えてくると、さすがに「またかよ・・」って思ってきます。
そしてしつこい。5月終わりにまだ撮り溜めた桜の写真をアップしてる人とかいます。
目黒川の桜なんて、ほとんどが同じ場所同じ構図の写真なんです。
まさに模倣って感じ。
あれだけ美しい写真を撮る人が、なぜあんなオリジナリティの欠片もない写真を撮ろうとするのかちょっと疑問を感じます。
しかし実際そうした写真はSNS上で絶大なる人気を誇り、「いいね!」をたくさん獲得します。
模倣写真というのを薄々自覚しながらも、そうした「いいね」の魅惑に負けてしまうかもしれません。
写真というのはちょっとした気付き、発見があってこそと思うのですが、目黒川、千鳥ヶ淵で撮られた桜の写真にそうした要素は皆無です。
ネット上で有名になった画像を自分のカメラを使って、自分のコレクションに加えただけ。ぼくからするとそんなにふうに見えるのです。
つまりあれは写真を撮ってるのではなく、画像集めだと言えます。
撮影者は、いつの間にか「画像コレクター」になっているのです。
ちょっと前に流行ったポケモンGOでポケモンを捕まえるような感覚に近いのでしょう。アイテム集めが楽しいことは理解できます。しかしそのことを自覚している人が一体どのくらいいるのか・・
よくよく考えてみれば、多くの写真は多かれ少なかれ「画像集め」の一種だと言えてしまうのかもしれません。
「じゃあお前はさぞかしオリジナリティ溢れる写真を撮ってるんだろうな?」と聞かれると、それはそれで困ります。
自問自答することで、ぼく自身も数多い模倣者の1人に分類されるんだなということに気づかされます。
程度の差はありますが、自分も模倣者の1人です。
春は六本木一丁目の桜を撮りましたが、確かに目黒川、千鳥ヶ淵ほどメジャーではないにせよ、これとて同様の写真はネット上に溢れています。
同じ構図で撮るってことに関しては、こんな経験もありました。
先日、富士山が見える撮影スポットに行ったのですがそこで先客のカメラマンと軽くモメたのです。
先客は良さげな構図の場所に三脚を立てて撮っていました。ぼくは当然手持ちです。
ぼくは少しずつ場所を変えながら撮っていましたが、その先客は「同じ構図で撮らないで」とぼくに注文をつけてきました。
オリジナリティが失われるという危機感があるのでしょう。しかしすでにその撮影スポットは、ネット上でもそこそこ有名で、先客カメラマンがオリジナルというわけではありません。
そのことを指摘すると彼は渋々引き下がりました。
有名な撮影スポットで撮影しておきながら、我こそがオリジナルなんだという傲慢な考え・・ぼくもこんな人間にはならないように気を付けようと思いました。
結局のこと、風景写真の多くは模倣の域を出ません。
浜松町の世界貿易センタービルから東京タワーを入れて夜景を撮ったり、横浜の大桟橋からみなとみらいの観覧車とランドマークタワーを撮ったり、城ヶ島から夕日と富士山を撮ったり。
今まで撮れなかった写真が、新しいカメラと新しいレンズで自分の手に収めることができるようになるのは楽しいですが、それは初心者~中級者までの一時的な楽しみ方にとどめておくのが健全だと思いました。
麻雀でいうなら、役満を上がることに喜びを見い出すようなものです。麻雀も初心者のうちはどんな高い手をあがるか、どんな役満をあがるかにしか興味がないですが、上達するにつれて段々とそういうことには興味がなくなります。
写真もそれと同じだと思っています。
カメラを始めたばかりは画像コレクターでもいいと思いますが、4、5年でそれは卒業しないとね。
高いカメラ、高いレンズ、それこそ10万や20万じゃあ済まない世界です。そんな高い機材を買って、せっせと画像集めに精を出すなるなんてつまんないですよ。
昼間の風景写真を撮るのに一眼レフを三脚に固定して、移動せずにそこで100枚近くもシャッターを切り、すぐに車に機材を載せて帰る。そうやってゲットした”アイテム”を家で現像してニヤニヤする姿は、ぼくが目指すべきスタイルでは当然ありません。
現時点で自分のやりたいことがこれって明確にあるわけではないのですが、こうはなりたくない、ああはなりたくないってことがハッキリしただけでも良かったと思っています。
素直に美しい風景を撮る。これ自体は何ら咎められる行為ではありません。
しかしそれが行き過ぎると、大SNS時代である現在の状況では、すぐさま「画像コレクター」というレッテルが待ち受けています。その線引きは難しく、ぼく自身いつその線を超えてしまうかわかりません。
でも常に「自分の今やってることは画像集めなのでは?」と自問自答しながら写真を撮っていきたいと思います。